映画の夢に向かって突き進んでいた彼は素敵でした

映画の夢に向かって突き進んでいた彼は素敵でした

高校生の頃は、叶わない片想いばかりしていました。

男の子ちゃんとしたお付き合いをしたことが無かったのですが親しくなった男の子も多少はいて、ほのかなお付き合いの記憶が残っています。

その男の子はクラスの同級生で、映画部の人でした。

映画部のメンバーとは結構交流があったのですが、その中で一番親しくなったのがこの人でした。

映画のことを一番真面目に考えていて、実際に映画の道に進み、日大芸術学部の映画学科を卒業後、後にプロデューサーになったという人です。

その彼とデートしたのは高校3年の秋のことで「日大の芸術学部の文化祭に行こう」と誘ってもらったのです。男の子と二人で出掛けるのは、ほとんど初めてだったのでドキドキでした。

横浜で待ち合わせ2人で電車に乗って江古田まで行き、日大芸術学部の学園祭を見学しました。彼はここに進学するつもりだと言っていました。

学園祭では映画上映会をやっていて「去年マリエンバートで」と「青春残酷物語」を観たのですが、どちらも強く印象に残っています。

その後も良いお友達として仲は続き、きちんとお付き合いすることはありませんでした。思い切って告白をすれば良かったと、今では後悔しています。

会えない時間が2人の気持ちを変えていく

会えない時間が2人の気持ちを変えていく

私がまだ、高校生の頃の話です。当時の私は陸上部に所属し、毎日練習に明け暮れていました。

髪はショートカットで真っ黒に日焼けし、今時のオシャレで可愛らしい女子高生とは、かけ離れた感じでした。どちらかというと見た目男の子っぽかった私でも、同じ陸上部にいた男の子と両想いになり、付き合っていたのです。

色々なしがらみを考えると、内緒にしておいた方が無難だと2人で結論を出し、仲間には内緒にしながら付き合っていました。

部活から帰宅し宿題を終えた頃になると毎日どちらともなく電話をして、1時間ほど他愛もないおしゃべりをして寝るという毎日でした。

土日は練習か陸上の大会でしたので、映画や遊園地に出掛けるといったデートは出来ませんでしたが、大好きな人が一生懸命練習に取り組んでいる姿を毎日見ていられるという環境は、大変ありがたく幸せなものでした。

そんな中、彼の両親が離婚を前提に別居することになり、親権の問題等で彼はお母さんと一緒に住むことになりました。お母さんの実家は地方で、そちらの方に引っ越すことになり当然、高校も転校してしまったのです。

私は東京、彼は地方で連絡の手段は家の電話しかない状況でしたので、遠距離恋愛は不安でいっぱいでした。高校三3生となり、お互い大学受験を目指す時期となった辺りから、毎日の電話が1日おきになり...2日おきになりと少なくなっていきました。

彼は東京の大学を受験して合格したら、その時は今度こそどこかに遊びに行こう!とよく話してくれていたので、それを期待しながら私も日々勉強に明け暮れていたのです。

結果、私は合格し、彼は不合格に。彼の不合格が自然消滅の主な原因かもしれませんが、会えない時間が、好きという気持ちを少しずつ消していった感じがします。

懐かしい思い出です。

人生とは偶然の産物でした

人生とは偶然の産物でした

「人生は偶然の積み重ねである」こんな言い古された言葉が、ズシリと心に突き刺さる経験を私もしたことがあります。

この女性との出会いも偶然でした。

地方の田舎町から上京し、昼夜を問わず寝食を忘れてバイトに励みながら学生生活を送っていた私が、逆立ちしても関わることができない部類の人でした。

その日も歌舞伎町にある居酒屋でバイトを終え、鍵を掛けて北新宿のボロアパートへ帰ろうとしていました。

電柱に寄り掛かったまま眠っているいるサラリーマンから、水商売風の女の肩にもたれながら千鳥足で歩いている中年オヤジまで、実に様々な人たちが深夜にも拘らず溢れていた時代でした。

いつもの光景に一瞥をくれて歩き始めた瞬間、仲通りの方角から女性の金切り声が聞こえて来たのです。商売柄、酔客の怒声には慣れていましたがこの時の声は違い、何か鬼気迫るものを感じました。

店を通り過ぎ仲通りに辿り着いた瞬間、上半身の服がボロボロに破れかけ、下着が見えている女性の姿が目に飛び込んできたのです。

田舎のガキ大将だった私の血が騒ぎ、人垣をかき分けてヤクザ風の男に飛びかかっていました。大格闘の末、こともあろうかヤクザの情婦を助けようと大立ち回りを演じてしまったのです。

この喧嘩がきっかけで、その女性とお付き合いすることになったのした。人生とは、まさに偶然の産物でした。